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【Scott Ramsey Vol.1】今から30年前、彼がまだ先物会社の法人部長の時に僕は出会った


Scott Ramsey(スコット・ラムジー)

交遊録①:Scott Ramsey(スコット・ラムジー)
デナリ・アセット・マネジメント社代表

僕と美男子スコット・ラムジーとの出会い。

僕は1987年から、米国シカゴに約6年間駐在した。

シカゴは、商品先物取引のメッカと呼ばれ、当時売買高で世界最大のシカゴ・ボード・オブ・トレード(CBOT)と、金融先物取引で急成長を遂げていたシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)があり、その会員企業もすべて、市内を中心に集結していた。

シカゴにとって、先物ビジネスがいかに大きな存在だったかは、赴任当日、オヘア空港に到着してすぐに分かった。

イミグレーションの窓口で、初めてL1ビザを出した時、「ビジネスは?」と聞かれ、「Futures(先物)」と答えたら、係官はその一言で、他の事は何も聞かずにスタンプを押し、「Have a nice business!」と見送ってくれたのだ。

それまでは取材旅行でも観光ビザしか持参したことがなく、ニューヨークでもロンドンでも通関には手間がかかった記憶しかなかったので、きちんとしたビジネスビザを持っていれば、こんなに簡単なものなのかと一人で納得していたのだが、その後、シカゴのJTBに赴任した友人にその話をしたら、「俺もビジネスビザをもっているが、毎回、もっとあれこれ聞かれるぞ」と言われ、なるほどことシカゴに関する限り、「先物」が魔法の呪文だったのかと改めて合点した。

「多分、その係官の親戚か恋人が先物業界で働いていたのだろう」と、スコット・ラムジー氏に言われ、笑われたのはそれから1年後のことである。

スコットは当時、シカゴ市内に事務所を構えるINDEXという先物会社の法人部長だった。身長が180センチ以上で、美男子(写真は当時から少し後のもの)。話し方も優しく、いかにもアメリカの優秀な若手ビジネスマン代表のような人物だった。

スコットは、そのころ僕の部下だったコジマが最初に友人になり、2人で一緒にパブに行ったり、野球観戦したりと専ら遊びが中心だったようだが、僕は基本的に仕事の話で会うことが多かった。

スコットの銀先物取引デビューは大損に終わった。

意外だったのは、スコットが高校時代から相場が好きで、父親と共に株式から入ったものの、自分ひとりで最初に手掛けたのはニューヨークCMEXの銀先物だったということだった。しかも、あのハント兄弟が銀を徹底的に買い上げていたあの頃である。

ハント兄弟の銀買い占めはその後、事件となり、多くの書籍や記事で語られているから興味のある方は、インターネットで検索されれば良いと思うが、当時大学生だったスコットもハントに倣って銀を買い、一時は大きく儲け、最後には大損して終わったそうだ。

しかし、そのままでは終わらず、結局、大学卒業後は自らシカゴの商品先物会社に飛び込んだのは、よほど相場が好きだったのだろう。

変わりゆく先物会社

そしてINDEX社で僕たちと知り合った。これも彼にとっては、よくも悪くも縁の一つだったに違いない。

INDEX社は、今はADMアムロ・フューチャーズに買収されてしまって、名前も消えているが、当時はフランスのクレディ・アグリコール銀行の先物子会社だった。

当時のシカゴには、海外の銀行や保険会社が買収したそんな先物子会社がたくさんあった。70年代にCMEが通貨先物を始め、80年代最初にCBOTも米国債の金利先物をスタートさせてから、最初は「大豆屋なんかと一緒に仕事ができるか」と馬鹿にしていた世界中の金融機関が、高い先物手数料をブローカーに払うよりは、自分たちでブローカーになった方が良いとなり、結局、ローカルの先物会社を次々に買収していったためである。

ちなみに現在はCMEの名誉最高顧問になっているレオ・メラメド氏が創設したデルシャーという先物会社も、80年代末に日本のさくら銀行に買われ、たまたま取材に行った僕に、メラメド氏が、「知っているかい?うちももうすぐ日本企業になるんだよ」といたずらっぽく話しかけてくれたこともある。

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縁は異なもの味なもの。

<益永 研>