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【その男の名は高木清明】Vol.5 「金のペーパー商法」で社会問題となった豊田商事会長永野と須藤の接点とは


「金のペーパー商法」

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豊田商事の指南番

豊田商事といえば、清明がまだ営業部にいた頃、同社の永野一男会長が、マスコミの取材陣が取り囲む中、閉じこもっていた大阪の自宅マンションで、押し入った男2人に日本刀で刺殺されたことで一躍有名になった会社だった。

何より衝撃的だったのは、その刺殺事件の一部始終が、自室のドアの前に陣取っていたテレビカメラを通じて、全国ネットで生放送されたことだった。取材陣を押しのけて、窓ガラスを割って部屋に飛び込んだ男たち。永野一男が部屋の中でもみ合う生々しい音。犯人に刺され、血だらけで室内に横たわる永野。そして包帯で包まれた永野が救急車で運ばれる光景。この一連のショッキングな映像はその後、繰り返し放映されたから、清明も一度ならず目にし、脳裏に焼き付いている。その後発表された豊田商事の被害者数3万人、被害総額2千億円という数字も含めて、数多くの戦後の詐欺事件の中でも最悪の結末を迎えた事件だったといっていい。1985年(昭和60年)6月18日、永野一男はまだ32歳だった。

「豊田商事に関わっていたって、どんな風に?」

そこまで思い出した後、清明は尋ねた。

「そもそも、永野一男が前身の豊田商事を設立した時に、須藤さんも開設資金を出してあげて、しかも、金の取引や、ひょっとしたら、その後の営業戦略なんかについても指南したということらしいの」

と、敦子が語ったのは、清明がさらに驚くような話だった。

永野一男はこの刺殺事件より8年前の1977年(昭和52年)、24歳の時にすでに、名古屋で「金」の投資会社として豊田商事を設立していた。当時、日本には、「金」の公設市場は無かったが、業者が顧客と相対で相場を作る店頭市場、いわゆる金の私設市場が跳梁跋扈していた。そこには、国内の証券会社や商品先物取引会社を辞めた人々も一部流れ込んでおり、新しい投資商品の一つとして金を勧め、自分たちもまた、金に投資していた。一時、名古屋の商品先物会社に外務員として勤め、すぐに辞めた永野一男も、豊田商事を設立した後は、顧客の資金を集め、それを私設市場の金取引で運用する一人だった。

一方、須藤は1975年(昭和50年)に目黒商事の社長を退任。その時、手にした退職金7億円を元手に、別の商品先物会社を1社買収し、77年には主として穀物と繊維の先物取引を営業していたが、それとは別に、個人的に、金の私設市場を運営する会社にも出資していた。その一つが、永野の豊田商事だったというのである。

その後、永野は1981年(昭和56年)に、大阪に進出。翌1982年(昭和57年)に東京で、公設市場である東京金取引所がスタートすると、新たな商法で一気に「大企業」へと変貌していく。

後日、「金のペーパー商法」とマスコミに命名されたこの商法は、金の現物を投資家に売るのだが、実際には豊田商事が売った金を預かる証文として「金証券」を発行。投資家には、豊田商事が投資家に代わって新設された東京金取引所などで運用して、年間10%以上の利回りを提供するというものだった。

金は、タンスにしまってしまえば、最終的に売却するまでは何の収入も生まない。資産としては素晴らしいものだが、寝かしているだけではもったいない。相場は動く。プロに頼んで上手に運用すればよいというのが、この商法の謳い文句だった。

業績急拡大当時は、1980年代後半以降のバブルに向かって、銀行も証券会社も様々な金融商品を作り、庶民もそれを積極的に買い始めていたこともあり、豊田商事のこの商法は当たった。事実、1981年度に92億円だった同社の売り上げは、ペーパー商法を始めてからは、82年度304億円、83年度540億円、84年度921億円とすさまじいスピードで拡大していった。

しかし、1985年になると、顧客からの出金要請に徐々に対応できなくなり、それがまた不安を呼んで社会問題化した。それでも、法的に、豊田商事を取り締まることはできず、警察も介入できぬまま、被害もさらに拡大すると思われていたのだが、永野一男の死で、豊田商事は、一気に破産。戦後最悪の結末を迎えたのである。

問題は、名古屋で豊田商事が事業開始する際に、本当に須藤が出資したのか、そして、その後の豊田商事のビジネスに、須藤が知恵を貸していたのか、どこまで密接にかかわっていたのか、である。

実は、久保田も大崎も当時、須藤から、一緒にやらないかと誘われていた。それが公設の商品先物取引のことだったのか、豊田商事のことだったのかは尋ねもしなかったので、今となっては分からない。だが、そのこともあって、おそらく、須藤と永野一男との接点もその頃できたのだろうと話していたというのである。

「それは本当の話なの? 須藤さんには直接確認したのかな?」

聞き返した清明に、敦子はかぶりを振って、「本当かどうかは分からない。ただ、須藤さんも否定はしなかったみたい。ともかく社長と常務は、そう考えているのよ」と言った。

「でも、仮に本当だとしても、現に須藤さんはその後も普通に生活して、働いているわけだから、罪には問われていないわけだ」

と、確認した清明に、敦子は「まぁね」と言いながら、「とにかく、飲みましょう」と話を変えた。

NEXT :6月15日 木曜日更新予定
敦子

<益永 研>

この物語は実話に基づいているが、登場人物や企業名はすべて架空のものである。

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